Vol.16
専門サイト同士のパートナーシップでオンラインビジネスを追求トムソン・ロイター・ジャパン マーケッツ・ディビジョン メディア ゼネラルマネージャー「Eビジネスマイスターに聞く!」では、IT業界の次世代を担うキーパーソンを「Eビジネスマイスター」と称し、Eビジネス研究所 代表理事の木村誠氏がさまざまな話を伺います。今回は、トムソン・ロイター・ジャパンの楠山健一郎氏に話を伺いました。 ![]()
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―まず、楠山さんの学生時代はどのように過ごされたのでしょう。
![]() もともと自分の中では2つの軸を持っていました。 1つは、将来は海外にかかわる仕事がしたいという希望です。小学生の時に父親が外資系の支社長をしていたこと、また、その父が海外留学がまだまだ珍しい時代に留学をしていた影響もあって、自分も海外にかかわる仕事をしたいと思うようになりました。 もう1つは、昔から群れるのが嫌いで、人と違うことや考え方を持っていたい、と考えていたことです。例えば、小学生のときにはやったゲームでも、周りがみんな任天堂だったなかで、マイナーなセガが好きでした(笑)。また、プロ野球でもジャイアンツは嫌いで、広島カープをあえて応援していましたね。つまりあまのじゃくであったということですが、人と違ったことをしたい、というのはビジネスでは必然と"差別化"につながり、役に立っているとは思います。 そういった思いから、学生時代は英語を武器として使えるようになりたい、また学歴・学閥などを頼らず個人としての実力をつけたいと思い、人数が少なく、またアメリカ的な雰囲気の国際基督教大学に入学しました。 ―そんな学生時代を過ごされ、就職活動はどんな感じだったのでしょう? 楠山氏 はい、海外で活躍できる仕事に就きたいと思い就活をしていまして、シャープに入社しました。 シャープのIT機器やAV製品はもともと好きでしたし、海外で働くチャンスもあるかなと漠然と思っていました。また、サッカーが個人的に好きなのですが、大学2年生の時、1年間イギリスに留学していたときに、人気ナンバーワンのマンチェスターユナイテッドのスポンサーをしていたのがシャープだったというのも影響したのかもしれません(笑)。 ―シャープではどのようなお仕事を? 楠山氏 最初は希望を出して海外営業部に配属され、主にアジア地域を担当しました。海外営業部というと海外出張が多く、現地でビジネスをするイメージを持っていたのですが、実際は日本で書類実務をこなすだけで売上が立つ仕事でした。海外出張もほとんどなく、仕事は電話とFAXで全部済んでしまうものでした。 その中でも部署内で業務の効率化などの提案と実行するといった努力が認められ、3年間働いた後に海外企画部という海外事業戦略に携わり、より経営陣の近くで働ける部署に移動になりました。 社長のそばでミーティングに参加させてもらったり、事業計画の作成に携わるといった仕事で期待もされていたのですが、やはりブランドや既存案件で売上を立てるのではなく、自分の実力を試したいという思いが強く、4年間働いた後、転職することを決めました。ただ、全世界で約7万人規模の従業員がいる、いわゆる大企業で働けた経験は後々大きく役立っています。 ―シャープを退社された後はどうされたのですか? 楠山氏 まだ未公開企業で40人以下だったサイバーエージェントという会社に2000年に入社しました。 当時雑誌でIT特集がたくさん組まれていて名前を知っていたのと、藤田社長が同い年で、若くて勢いがある会社という印象を持っていました。 広告代理店の事業内容は正直あまり認識していなかったのですが、その時は大企業ではなく、自分の力でビジネスをやってみたいと思っていて、それができる環境と思い選びました。また、アメリカにも支社をつくるという話があったのも理由の1つです。 ―サイバーエージェントでは何を? 楠山氏 ちょうどITバブルが崩壊したタイミングと入社の時期が重なりまして、入社のころには海外支社の話はなくなっていました。 結局1年半、広告営業マンとしてハードに働きました。 メーカーの製品とは違い、アイデアや、企業メッセージを扱う広告というまったく違った業種での経験、また達成しなければ認められない、振り落とされるというプレッシャーの強い状況下で、自分を追い込んで、自分の今後の方向性などというよりもむしろ目の前のことに突っ走りました。 当時のサイバーの人は名だたる大企業からベンチャー精神を持った若く優秀な人が多く集まっていて、大企業に負けちゃいけない、若くても大きな会社と対等にビジネスができるんだ、というモチベーションがすごかったですね。 ―藤田さんはカリスマがあった? 楠山氏 若い社長がNTTドコモやソニーのような大企業に立ち向かうといった、シンボルのような存在でした。また、周りに優秀な人がいて、人を使うのが上手だという印象を持っていました。何よりもビジョンを掲げるのがうまかったです。到底達成できそうもない目標を掲げながら、自分たちをどこへ行きたいかを大きく語って、現場をモチベートする人でした。 ―その後、再度ご転職されますよね? それはどういうきっかけだったんです? ![]() ロイター・グループ(現トムソン・ロイター)で金融のサイトを立ち上げるという話で誘われました。当時はマルテックス・インベスター・ジャパン株式会社というロイターの関連会社のような位置づけで、ロイターグループの中でも新しいネットビジネスを担う部門でした。 ―サイバーでの営業の仕事と、ロイターでの金融サイト立ち上げの仕事は一見関連性がないように思えますが? 楠山氏 そうですね。当時のロイターが考えるWebサイトは広告での収益化を目指していましたので、サイバーエージェントでのネット広告の経験、特に金融系クライアントが多かったので、その経験を生かせると思いました。 また、ロイターなので海外との接点も増え、英語使えそうだな、と思ったのも大きいです(笑)。 ―英語がひとつのキーになることははずせないところなんですね(笑)。それで、ロイターでは最初どんなことをしたのですか? 楠山氏 最初はマーケティングマネージャーで、マルテックス・インベスターというサイトの立ち上げを行いました。コンテンツはアナリストレポートで、当時証券会社でしか手に入らなかったものをWeb上で提供し、投資家を強くするというミッションを持っていました。 メインの業務はサイトのビジターを増やすことと、広告スペースの営業でしたが、最初はいろんなことをやっていました。コンテンツを集める仕事にも携わって、そもそもアナリストレポートとは何かを勉強することから始める、といったこともやっていました。いろいろな側面からかかわれるのが楽しかったですね。 ―ロイターとサイバーエージェントで、何か環境的な違いは感じましたかた? ![]() サイバーエージェントでは毎日深夜まで働いていました。 ロイターでも最初そのつもりで働いていると上司に怒られて、「遅くまで働くのは仕事ができないやつだ」と言われました。それからは、仕事、自己啓発、家庭との時間のバランスを取ることを考えましたね。 やはり倍々で成長するために少数精鋭で一丸となって働くベンチャー企業とは違い、ロイターではリソース管理がコントロールされていて、家族や従業員の生活を考えたリソース配分ができています。 なので、今は19時前くらいには帰宅ができるよう努めています。 ―その後、ポジションや仕事内容はどのように変わりましたか? 楠山氏 その後、部署自体はずっと一緒で当時4人だったメンバーが今は20人近くになっています。仕事は外の会社との提携などを手掛けるビジネスデベロップメントなどにもかかわり、2007年6月に日本の責任者であるゼネラルマネージャーになりました。 ![]() 楠山氏 インターネット広告市場が6000億円ある中で、当社のサイト(reuters.co.jp)単独での売上は急成長をしているとはいえ、まだまだ大きいとはいえません。この大きな市場のメリットを享受しつつ、今後の成長を考えたとき、1社単独でビジネスするより、複数の会社でスケールの大きなビジネスをしたほうがいい、よってパートナーシップを組もうという結論に至りました。 パートナーは、オンラインへのシフトが急がれている雑誌業界に注目しました。雑誌の中で、われわれの狙いたい経営者やビジネスマンの間で強い支持を集め、またオンラインビジネスへの展開に興味を持っていたプレジデント社に提案をしました。プレジデントの発行部数は20万部あり、読者プロフィールの中で経営者層の比率が一番高い雑誌です。そのためわれわれだけでは開拓できない広告クライアントを多数お持ちでした。われわれとしては、もっとクライアント企業の幅を広げたいという思いがありましたからね。 ![]() 楠山氏 プレジデント社としては、われわれと組むことで時間を買う、という判断をされました。自分たちで3年かけて立ち上げるよりも、すでに運営ノウハウを持つわれわれと組んだ方がいい、と。特に、われわれのサイトのPVや売上の伸び、また広告のPV単価を大手ポータルサイトの5~10倍で売っている点を評価していただきました。 ―大手ポータルサイトの5~10倍のPV単価で広告が売れるというのは? 楠山氏 セグメントされているので売れるということです。 ロイターのユーザー属性は、40代以上で年収1000万円以上、株式の取引経験がある人、といった特徴があります。PVの価値は、専門サイトとポータルサイトでは違います。専門サイトはPVあたりのコストがかかっている。今は多くの専門サイトが、大手ポータルサイトと同じ値段で売られているのですが、今後は専門サイトは属性で広告を売っていくべきだと思います。 例えば雑誌の専門誌は、属性で広告営業をしています。ビジネス系雑誌より週刊誌の方が発行部数は多いのに、広告受注単価はビジネス系雑誌の方が高いのです。それは、読者の属性を売っているからです。これからは、Web広告でも専門サイトは雑誌と同じ売り方が必要になってきます。 ―一方、Webサイトに雑誌のコンテンツを出すと売れなくなるといった懸念はなかったのですか? 楠山氏 そうですね。重要な問題点です。ひとつの方法として、慎重にやるなら完全にわけることです。 例えば、ほかのビジネス系雑誌ではWebと雑誌をほぼ切り分けています。プレジデントロイターの場合は、プレジデント本誌からある程度のコンテンツを出し、最新号からもコンテンツの一部を載せるようにしています。 アメリカではForbesの例が成功例といわれています。Webと両立することで、オンラインの読者が雑誌を買う流れができ、雑誌が販促になることが証明されています。 ―プレジデントロイターの「お金と仕事の解決サイト」というコンセプトはどのように決めたのですか? 楠山氏 これは、プレジデント本誌の立ち位置と一緒です。 例えば「社長が語る企業の戦略」というよりは、「社長の仕事術」といった面を取り上げていきます。歴史上の人物の考え方や哲学を、現代の経営に当てはめるといった、時代を超えた普遍的な概念を伝える雑誌です。これは、経営者が多く、また年齢層が高いロイターのユーザー層にもマッチする内容です。 ―有料課金等、広告以外のビジネスモデルは考えていないのでしょうか? 楠山氏 マーケットのサイズが大きくないので、現在は考えていません。成功例としては、アメリカでウォールストリートジャーナルが90万人に対して年間 99ドルで課金をしている例があります。また、日本ではBtoBで日経テレコンが成功していますが、残念ながら、成功例が少ないのが現状です。 それよりも、市場規模が6000億円あり、2けた成長をしている広告市場をターゲットとするべきだと考えています。 ―目標としてはどのレベルを狙いますか? 楠山氏 今後も専門サイトのオンラインビジネスを追求していきたいと考えています。新聞社や、プレジデント社以外の雑誌社さんとも組むということも視野に入れられると思います。 既にアメリカでは専門サイト同士がパートナーシップを組む流れになってきています。日本でもこういった流れが出てくるのではないかと思います。パートナーシップを組むことで、専門サイトの弱さであるスケールを生み出せると考えています。 ―ところで、最後に楠山さんの仕事術を教えてください。帰宅後はどのように過ごしてるのでしょうか? ![]() 仕事・自己啓発・家庭のバランスをとることを部下にも言っていますし、自分でも心がけています。 いつもは子供と遊んだり、週1回くらいeラーニングで英語を勉強しています。ネイティブではないので、英語の勉強は常に必要だと考えています。運動もしますよ。フットサルや、チームのみんなと卓球をやったりしてます。 ―快適ですばらしいですね。では最後に一言お願いします。 楠山氏 今まさにメディア業界の再編が始まり、変化の時代に突入しています。企業のマーケティング費用は絞られるようになり、広告の費用対効果が求められるようになる中で、テレビ、新聞などのマスメディアからネット広告を中心としたターゲットメディアへのシフトも加速するでしょう。 こんな変化の時こそ、われわれはいろいろなメディアとパートナーシップを組むチャンスがあると考えています。ロイターは、日本のメディア業界の中ではまだまだ大きくはありませんが、ぜひ業界に一石を投じていけたらと考えています。 今回のキーワード:専門サイトのオンラインビジネスWebサイトのPVの量ではなく質・つまりユーザーの属性に着目して広告を売っていく考え方。専門サイトはコンテンツの質が高く、分野に特化しているためユーザー層が例えば高収入・高年齢・インテリといったように、広告主にとってより魅力的な形にセグメントされる。このようなサイトでは、ユーザー層が幅広いポータルサイトと同価格で広告を売るのではなく、プレミアムな属性をもとに高価格で広告の販売を行うことが可能である。 |