Vol.5
ケータイで雑誌が読める「ケイマガ」生みの親が語る、勝手サイトの将来性と新たなビジネスモデルケイタイ広告株式会社 代表取締役社長Eビジネス研究所が開催する「Eビジネス研究会」では、IT業界の次世代を担うキーパーソンを「Eビジネスマイスター」として講師に招き、業界の動向や将来のビジョンについて、参加者とのインタラクティブな質疑応答を交えたセミナーを行っています。この連載では、講演を行う前のEビジネスマイスターに、Eビジネス研究所 代表理事の木村誠氏がさまざまな話を伺います。 今回は、2月8日にEビジネス研究会の講師として登場していただくケイタイ広告の小野社長に話を伺いました。 ![]()
![]() 小野氏 ほんと、木村さんは変わらないですね。僕なんか、髪が真っ白になっちゃいましたよ(笑)。 ―じゃあ、早速本題に入りたいと思うんですけど。まず、博報堂に入られた頃の話から。 小野氏 随分、さかのぼりますね(笑)。僕の入社は1990年で、「バブルでGO!!」って映画がありましたけど、まさにバブル真っ盛り、崩落の寸前というところだった。あっちこっちの企業、特に証券会社なんかからリクルーターの青田買いみたいな電話がかかってきてね。今と違うのは、「社会人にならざるは人にあらず」っていう風潮ですね。大きい会社に入れるかどうかで、まともな人間かどうかが試されるようなところがあった。 ―その頃、小野さんや大学の同級生は、起業しようという意識はなかったんですか? 小野氏 起業する人は「ニューベンチャー」と呼ばれてましたね。当時は、起業なんて物珍しいほうで、大きな会社に入れなかったから外れた奴だと思われていた感じもある。僕も起業になんてまったく縁がなくって。実は大学生のとき、オートバイのレースやってたんです。 ―え!? レーサーだったんですか、小野さんって? 小野氏 レーサーっていっても、オートレースじゃないですよ。一応レーシングチームに入って、最後はスポンサーを自分でとって全日本選手権で走ってた。鈴鹿耐久レースを小さい頃から見ててね。いつか見るんじゃなくて走る側に回りたいって。大学入って、免許も取ったところで手探りで始めた。大学生なんて決勝レース表をみれば、僕と(故)永井選手の二人くらいしかいなかった。 私は大学は慶応だったんですけど、レースの世界では慶応なんて何の役にも立たない。コンマ2秒の差で結果が決まる。頼りは自分の実力・才能だけなんですよ。 こんな学生生活を送ってたんで、いかに才能が大切か、実力のある人だけが世界に出て行くんだってことをその頃から感じ取ってました。 ―大学卒業のときは、レーサーになるんじゃなくて就職を選んだ? 小野氏 ええ、もう普通に就職活動しましたよ。オートバイレースやってたから、本田技研も受けましたし、当時はバブルだったので、地上げで儲けて、もう一回レースを遊びでやろうかなと思って(笑)そういう時代の環境もあって不動産会社も受けました。電通にも知り合いがいて受けに行きましたが「この会社がいい会社だなぁ」と感じたのが博報堂だったわけです。この会社、好きだなぁと思ったし、面接を受けるうちに自分の評価が上がってると感じまして。自信がつきましたね。 当時の博報堂は今の博報堂と違う社風でしたね。「いい人」ってタイプの人も多くて、社員の気持ちにもゆとりがあって、あたたかく接してくれました。 ―とりわけ、人に焦点を当てて会社を決めたってことですね。広告業界に入って、インタラクティブ局に行くまでは? 小野氏 10年間営業ですよ。キヤノンさん、ヤマト運輸さん、ドコモさんとか。インタラクティブ局ができて、そのとき僕も含め、いろんな部門の人がかき集められた。38人という、博報堂では大きな部署としては初めてネット対応組織を作ったので。 ―そこで何年くらい? 小野氏 99年4月から、子会社作ったのが2001年の3月。 ―じゃあだいたい2年くらい。実績が出て、子会社を作れと? 小野氏 いやそういう感じではありません。実を言うと、当時博報堂は上場準備をしてて。中期5カ年計画でデジタル領域の策定のためにインタラクティブ局で6人集められた。その6人で、デジタル領域について今後5年後の博報堂のデジタル領域のビジネスはどうなるのか?という事業計画を作ったんですよね。思い起こせば、いまでもその時の描いたビジネスモデルや想定は不思議と色あせていないんですよね。 ※博報堂の上場まで:2003年10月に博報堂、大広、読売広告社が経営を統合し、3社の持ち株会社として博報堂DYホールディングスが設立され、2005年2月、東証1部に上場した。 小野氏 テレビCMが広告ビジネスの中心の間は、その取引がブラックボックス的取引に保つことができれば優位性を保っていけるにしても、いずれ広告代理店は「中抜き」されてしまい、その地位は地盤沈下してしまい崩壊してしまうだろう。そうは言っても、あと10年はもつだろうってみんな思ってたわけ。そしたら、外資の広告主がセントラルバイイングをするようになって、20%ほどあったマージンがたった2~3%以下になってしまった。利益が想像以上のスピードで落ちてダイブ↓(笑)、みたいな。 その上、ネット業界では、若い社長が次々と出てきて、僕らもこのままじゃいけない。会社作って、新しいことをやらないといけないんじゃないの、って話すようになった。 ※セントラルバイイング:広告業界内での競争が激しくなった近年、広告主は、メディア枠の購買を複数の広告会社への分割発注から特定の1社に集中させるようになった。それにより、広告主の価格交渉力が高まり、コミッション比率が低下する傾向にある。 ―それで、会社を立ち上げようっていう結論に? 小野氏 ええ、そうは言っても手を挙げたのは私と、もう1人。彼はジー・プランという会社を住商さんと大企業ベンチャーというカタチで立ち上げましたね。 当時の博報堂では、まったくそういう子会社を作った前例がない。そういう戦略的なベンチャー子会社を作るということが、どういうことをすればいいのか分からない。当時は投資委員会という組織もなかった。まったく、ジャングルの中にかき入るような気持ちでしたね。 ―その頃から独立する予兆が? 小野氏 今はもう時効だから言うけど、僕、あんまり会社を辞めたいと思ってなかったんですよ。別に。ベンチャーをやりたいというより、自分がやりたいことができればよかったんです。 当時作った子会社では、ネットプロモーションと言われる、ドリンクにシールを付けてモバイルに誘導してプレゼントを当てるというキャンペーンを手がけていました。そのうち子会社を統合整理するかどうか打診された時にね、「それなら会社辞めます。まぁ、いろいろありますが、自分でやります」と答えた。そしたら当時の上司が「オマエ、やりたいなら、居抜きで持っていっていいよ」って。ざっくりいうとMBOみたいな感じのことを許してもらった。 ―そうしてケイタイ広告を設立。日販さんの出資を受けてらっしゃるんですよね? 小野氏 ええ、2006年に日販さんが業務・資本提携してくれて、雑誌のモバイルサイトの拡大を手伝ってもらえることになりました。2005年6月に、ケイマガを立ち上げた当時は30誌からのスタートだったんです。モバイルサイトも最初はまったくない状態で(笑)知り合いをあたってお願いして増やしていったんです。
小野氏 最初にやった、シールのキャンペーン。ネットプロモーションですが、これあんまり市場が大きく広がっていかないんですよね。 単品大量生産で、1カ月に1億個を超える商品って、そんなにいっぱいはないんですよ。トップシェアの缶コーヒーが月産8000万~1億本くらい、大手コンビニチェーンのおにぎりで1億個。飲料、お菓子、タバコ、お酒、そのジャンルくらいしか大規模なネットプロモーションキャンペーンができる対象が少ないんです。それに、仕事の繁閑の波が激しいんですよ。 ほかに、モバイルでキャンペーンをやるんだったら雑誌なら相性がいいんじゃないかって目をつけた。 出版社にお金はいただかない、立ち上げた当時はユーザーへの課金もなしで、まずは広告モデルで運営することにした。現・副社長の河野はリクルートでモバイルのASPサービスであるMO-ONを立ち上げていて、モバイルビジネスには精通していました。だから、出版社にこのサービスを買わせるのは難しいだろうって。スピードも重要だから。だったら無料にして、そのかわりに集客は出版社の自社枠でやってもらおうと。 出版社側から見ると、ケータイサイトを立ち上げようと思っても、相談する相手がいない。サーバー立てたり、専任の担当者を置いたりすることができないだろうって。第一、回収モデルがないので、投資できない。だから、更新もメルマガ発行も、手間のかかることは全部うちでやるようにした。
小野氏 雑誌や新聞などの広告を一件一件調べて顧客データベースリストを作ったんです。飛び込みで3,000社に当たり、400社に会いましたね。だんだんと「他の広告代理店がもってくるモバイル広告とは違う」と評価してもらえるようになりました。 顧客との接点には、簡単な話、いつもニュースが必要なんですよ。ニュースとは違ういい話は、事例紹介として使う。イベントでケーススタディを発表するようにしています。自社セミナーは、もう流行らない。Eビジネス研究所さんもそうですが、第三者に選ばれた事例ということが、価値を持つのでしょう。 最近の良い事例では、今年のお正月・年賀メルマガ。ケイマガ読者にお正月に約22万通のメルマガを発信したところ、大手ビール会社さんの広告の場合、平均15%のクリックがありました。他の広告媒体よりも高い効果が出せるのは、モバイル媒体の下地から作り直そうと取り組んだ結果です。
小野氏 世代や性格の違いもありますし、最近の会社の人は、しっかり休むようですが、僕は世の中に新しいサービスを生み出すのには、生みの苦しみがあるのは当然だと思ってまして、その結果、激しく働くことになりますよね。 今は、ほとんどの雑誌にケータイサイトがあります。全部で約400サイトくらいあるのではないかと思いますが、そのうち340サイトをうちで作った。mixiさんにしても、モバゲーさんにしても、ベンチャーで、スゴイと言われるのはTOPの1社だけです。 ベンチャーが世間に高い評価をしてもらえるのは、とどのつまるところ、急激な成長ですい星のように現れるそれも急に角度が上がり、大企業を脅かす、イノベーションを引き起こすからですよね。これは、とことんやり尽くさないとわき出てこない、わからない感覚ではないでしょうか。 突き抜けられない理由はビジネスモデル構造? それとも頑張りきれなかったから? そう考えると、頑張らずに後で後悔したくないんです。 ―小野さんがモバイル事業を始められてから、今までの間に、市場の動きがまったく変わったと思うんですが。 小野氏 業界の話で言うと、iモードが出てケータイがネットにつながるようになったのが2000年。2000年から2005年までが、iモード・ビジネスの創成期であり全盛期だったと言えますね。創生期は公式サイト課金、少額決済のシステムを作って、人に今までとは違う消費をさせることが大きな価値だった。これほどのビジネスチャンスは、二度と来ないですよね。 そして、2006年から2008年が過渡期。2009年から、地上波放送の完全デジタル化される2011年の間に、市場が本当に変わっていくだろうと見ています。 今の過渡期は、「これをやればOK」という決定打というのは見えない。モバイルサイトは、"公式"から"勝手"だという流れは分かりやすいと思いますが。それだけだと、本質を考えたことにはならないと思います。 要は、通信事業者の展開するiモード事業モデルが現状の枠組みでは、飽和しちゃったということです。緩和することと、新規参入を入れて裾野を広げないとモバイルビジネス市場は大きくなりません。この本質は、見る人が見るとクリアなんです。 ―そういった、モバイル業界での啓もう活動も、小野さんがリードしてらっしゃるようですが。 小野氏 昨年、「MOBILE BUSINESS SUMMIT」というイベントを起案・実施させていただきました。みんなでいろいろ話をしようよって。みんな仲良くなるまでは結構、バリアーがあるっていうか、なかなか腹割って話ってできないじゃないですか。だから一泊。博多でやりました(笑)。場所も良かった。160名近いキーマンが集まりました。 完全招待制にして、業界のキーマンだけを集めて、通信事業者から端末、コンテンツ、広告、モバイルコマース、ソリューションを縦断した「場」、まさしくサミットをめざしたんです。参加者には勝手に内容をブログで書かないという一人一人とNDAも結んで、モバイル業界の戦略や将来像について意見交換を行いました。結果報告は、主催者&オフィシャルメディアとしてCNET Japanさんに入ってもらってレポート記事も出してもらいました。最初の開催なんで、みんな手弁当ですよ。各自会費を払って集まってもらいました。 ―モバイル業界は、外から見たら混迷しているように見えますが。 ケータイは規制産業業種だから、免許を持っている企業がやっぱり強いんです。依然、キャリアが仕切っています。そこで多くの企業はあきらめちゃう。まるで江戸時代の「お上と民」みたいな感じですからねぇ。だから閉塞感があるんだと思います。 当社ケイタイ広告としては、携帯料金と一緒に支払いができる課金モデルもサービス提供できるようになったわけですが、競争の源泉は、モバイル専用アドサーバーであると考えています。広告出稿プロセスでは、日付、曜日、時間を入力すると、実施したい広告のターゲットがどれくらいいるか、リアルタイムで計算できるようになっています。レポートについては、どの雑誌で何月何日に、メール広告・バナー広告を配信して、CTRがいくらだったかという結果が出るんです。 さらにモバイルメール広告では性別、年代、職業、既婚未婚のクロス集計でどの層が高い反応があったか?まで細かく分析ができます。この広告では男性の10代、20代の反応はもちろんよかったけど、実は40代もよかった、といったことが分かるわけです。 ばら撒き型の広告ではなくて、狙ったら当てる、トマホーク型ミサイルのようなものといえばわかりやすいでしょうか。 モバイル広告市場の技術的な大きな特徴として、PCではできたがモバイルではできない。それは大体が米国製のアドサーバーであるからです。モバイルの場合はPCのようにCookieが使えないというのがその大きな理由だったのですが、一方で、そもそもPCに比べてモバイルはモバイルサイトそのものの数が少ない、そもそも広告を露出するところがすくないということも問題でした。僕らは、その問題を解消するため、モバイルサイトそのものを作るところから始めて、広告管理システムを自社で開発するしかない、というところに行き着いたんです。 ―本日はありがとうございました。Eビジネス研究会の当日も楽しみにしています。 今回のキーワード:モバイルビジネスとキャリアプラットフォームの緩和当初日本のモバイルビジネスを拡大した垂直統合型モデルは、優越的な地位にある通信事業者がポータルやコンテンツ・サービスといった他のレイヤーへ進出することにより、それらのレイヤーの競争環境に大きな弊害を与えつつある。寡占状況を引き起こさない競争環境を実現する政策が必要とされている。コンテンツビジネスに必要な機能の代表的なものに、認証システムや課金アプリケーションがある。モバイルコンテンツビジネスでは、少額の課金システムが実現されたため、月額定額のユーザー課金モデルが急速に拡大した。このモデルを成立させるためには、ユーザーに負担をかけない認証システムが必要条件である。携帯電話ではアクセスした顧客を認証するためにユーザーID(PCではCookieで同様な機能を実現)を利用している。従来、ユーザーIDは一部キャリアを除いて一般サイト(勝手サイト)での利用は不可能であったが、この問題が解決され、勝手サイトでも認証ができる、また勝手サイトでも携帯電話料金と一緒に料金を払える課金システムを利用することが実現されるか?問われ始めています。これによって、勝手サイトのビジネスモデルに多様性が増すことや、公平な競争環境の実現が期待できるのです。 |